日本とふぐの歴史

古代から続く“ふぐ食”の痕跡

日本人とふぐの関わりは、実に数千年に及びます。縄文時代(紀元前約4000年頃)の貝塚からはふぐの骨が出土しており、古代の人々がすでにふぐを食していたことが分かっています。もちろん当時は処理方法や安全性が確立されていたわけではなく、命を落とす危険と隣り合わせで口にしていたと考えられます。

1592年禁食令-それでも食べられ続けた“禁断の味”

ふぐには毒があり危険だという認識が持たれていながらも、その美味しさに魅了され食する者が後を絶ちませんでした。
1592年ふぐを食べた多くの兵士が中毒で亡くなったことで、当時の最高司令官・豊臣秀吉が日本全土に「ふぐ食の禁止令」を敷き、以後200年ほど禁食令は続きました。食べたものには非常に厳しい懲罰が設けられてましたが、それでも“禁断の味”として庶民や漁師の間で密かに食され続けてきました。

1888年解禁

1888年、当時の内閣総理大臣・伊藤博文が下関の料亭春帆楼でふぐを食し、そのあまりの美味しさに感銘を受けたことから「ふぐ食禁止令を解禁」する命令を下しました。春帆楼はふぐ料理公許第一号の料亭となり、刺身、鍋、雑炊といった提供スタイルが現在にも残っています。

法制度と免許制による安全担保

ふぐ毒のメカニズムに関する研究が重ねられ全国的にふぐ調理が免許制として法的に整えられたのは1958年のことです。
調理師は長い修業を経て厳しい試験に合格しなければならず、ふぐの種類や食べられる部位も明確に規定されています。ふぐの加工施設も許認可制となっており、現在では、可食部位以外は一切流通・提供できない仕組みが全国で徹底されています。

安全で楽しめる日本の食文化へ

このように、日本では縄文時代から危険を冒してでも食べられてきたふぐですが、いまや厳格な免許制度と法整備に基づき、安全が担保された食材となりました。長い歴史の中で「恐れられる魚」から「日本を代表する高級料理」へと姿を変えたふぐ。その背景には、人々の挑戦と工夫、そして文化としての積み重ねがあるのです。